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2008年4月20日 (日)

仏誕節

書こうと思ってすっかり忘れていたのだが、4月5日に中華街で「仏誕節」というのをやっていたのだった。ざっくり言うと釈迦の誕生日を祝う催しである。日本で釈迦の誕生日とされているのは4月8日で、その近辺にこういうお祝いをやっているようだ(ちなみに、タイあたりでは別の日をあてている模様)。

で、各方面のブログでイースターの話はいくつか目にしていたのだが、仏誕節の話は目にした覚えが無くて、日本はいつの間にかクリスチャンばっかりになったのだろうかと思っていたら、日本では「花まつり」とか「灌仏会」という名前でやっている模様。そちらで検索したらいっぱい出てきた。それなりに皆さんお祝いしているようだ。読んでみた感じでは「やれ祝え、それ祝え」というよりは「今年もこの季節になったのでお祝いでもしましょうかね」という比較的柔らかな感じの記述が多く、イースターやクリスマスに比べるとより自然体な印象を受けたのは気のせいだろうか。

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ついでに釈迦についてちょっと調べてみると、こんなページが。結構良くまとまっている。要するに釈迦は「執着を捨てろ」と言いたかったらしい。ちょっと引用してみる。

万物が変化するという事実を認めない「無知」が「迷い」を生み、迷いが「欲望」を生み、欲望が「執着」を生み、執着が「苦しみ」を生むとする結論に至った。「無常」という真実をあるがままに受け入れることでしか心の平安(悟り)は得られないのだから、心が勝手に真実を曲げて解釈しないようにしっかりと現実を直視し、すべてのものに対する執着を断てと釈迦は説いた。

なるほど。帰依する気も拝む気もさらさら無いが、いいこと言っていると思うな。つまりアレだ。中華街のテーマパーク化が進んでいる、とか嘆いてみせるのも執着だし、お店の味が変わってしまったことを認めようとしないのも執着というわけだ。悟りの境地に至るのは非常に難しそうだな。考えてみれば「宗教」というものに執着してみせるのもその時点で悟りの方向とは真逆の話だろうし、悟りというのはすさまじく難しいもののようだ。

私としては今のところ中華街で食べることに対しては思いっきり執着しているので、悟りなんてものは宇宙の反対側の事象に等しい。とはいえ、年をとるとあっさりと食べ物なんてどうでもよくなるかもしれなくて、その辺のことはさっぱり予想がつかない。とりあえず、当面はほどよく執着していこうと思うのだった。まだまだ中華街は見ていておもしろいということもあるし。

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